民法(成年後見等関係)等の改正に関する中間試案に対する意見
民法(成年後見等関係)等の改正に関する中間試案に対する当協議会の意見は、以下のとおりである。
第1 法定後見の開始の要件及び効果等
1 法定後見の開始の要件及び効果
(1) 法定後見制度の枠組み、事理弁識能力の考慮の方法並びに保護開始の審判の方式及び効果について
【意見】 現行の法定後見制度の枠組みを維持する甲案が現実的かつ妥当であると考える。 ただし、甲案に一定の課題があることも踏まえ、乙2案の趣旨にも留意し、今後の運用改善を検討すべきである。 【理由】 甲案の理由は、現行の法定後見制度の運用実績や社会的認知度が挙げられる。 現行の法定後見制度において一番申立件数の多い「後見」では、包括的な代理権や取消権の仕組みが本人保護において実務上不可欠な役割を果たしており、現行制度が平成12年4月1日からスタートしてから20年以上の運用実績がある。 また、成年後見人等の名称が社会に浸透してきた現状を鑑みると、名称変更による混乱を避ける意味でも甲案のように現行制度をベースとした制度運用が今後も望ましい。 現行の法定後見制度については、そもそもその基本理念に関して、一般的に自己決定権の尊重、ノーマライゼーション等の現代的な理念と従来の本人の保護の理念との調和を図りながら、できる限り利用しやすい制度を実現することを目指して設けられた制度であるため、今後もその基本理念に沿った制度運用を現行の法定後見制度の下で維持しつつ、必要に応じて部分的な課題に対応していくべきである。 乙1案は、「成年後見人等に当該本人に必要な特定の事項について代理権・取消権を(個別に)付与する類型の法定後見を開始する」制度であるが、事理弁識能力を欠く常況にある者も含め、すべての類型において特定の法律行為に関する取消権や代理権の付与を個別に審判するとすれば、その必要相当性を審理するための家庭裁判所における負担が大幅に増大し、家事手続事件数が年々増加傾向にある近年の状況において現実的ではない。 さらに、乙1案は、基本的に本人の同意を要件としているため、事理弁識能力を欠く常況にある者について保護の必要性があるにも関わらず、本人の同意が得られないという理由で法定後見制度を利用することができなくなる可能性を否定できず、制度の理念が形骸化してしまうという懸念がある。 乙2案は、事理弁識能力が不十分である者のうち事理弁識能力を欠く常況にある者については法定後見制度の開始の審判をすることによって一般的に必要となる権限が保護者に付与され、さらに、不足する権限について追加する審判をするものとする考え方であるため、自己決定権の尊重という観点から評価されるべきであり、ノーマライゼーションの理念に沿った制度設計ともいえる。 しかしながら、現行の法定後見制度について、制度が硬直的であり利用しにくいとの意見が挙げられるのであれば、現行法の法定後見制度の枠組みの中で乙2案の趣旨、制度運用を射程に入れればよく、現行の法定後見制度を抜本的に変更して乙1・2案の様な「保護」という新しい制度を生み出す必要性は乏しい。 以上の理由から、現行の法定後見制度の枠組みを維持する甲案が現実的かつ妥当であると考える。 ただし、甲案に一定の課題があることも踏まえ、乙2案の趣旨、制度運用にも留意し、今後の運用改善を検討すべきである。 |
(2) 法定後見に係る審判をするための要件としての本人の同意等について
【意見】 第1の1(1)における甲案を踏まえた上で、現行法の規律を原則として維持しつつ、本人の意向をより実質的に把握するための手続的な工夫や運用改善を行うべきである。 【理由】 法定後見制度においては、本人の自己決定権や尊厳に十分配慮する必要があることから、法定後見開始にあたり本人の意向を確認する機会を制度上確保することは重要である。 現行制度においても、家庭裁判所が面談等を通じて本人の常況を把握する実務は存在しており、これをさらに制度的に明確化かつ充実させることで、本人の意向の尊重と柔軟な対応が可能になると考えられる。 ただし、同意を含む本人の意向について尊重することには賛成であるが、本人の同意や異議がある旨の届出を法定要件とすることには慎重であるべきである。 なぜなら、法定後見開始の申立ては、しばしば本人に支援が必要であるにもかかわらず適切な保護者が存在しない状況でなされるものであり、そのような場合に本人の同意が得られないことを理由に法定後見開始ができなくなれば、かえって本人の保護を阻害するおそれがある。 加えて、被保佐人や被補助人が審判書を受け取らないことにより、法定後見開始 の審判確定までに時間を要している事例もあり、それはかえって本人の権利擁護に資することにつながらないと考える。 したがって、本人の意向を確認することは重要であるが、それは法定の要件とするのではなく、運用の中で柔軟かつ丁寧に対応すべきである。 一方、少数意見としては、本人の同意を法定の要件とすべきとの立場も存在する。 この意見は、法定後見開始の審判が本人にとって事実上の不利益処分にあたるとの観点から、手続保障として本人の明確な同意を要求すべきであると主張するものである。 また、仮に第1の1(1)における乙1案の立場を取ったとしても、「本人の身体又は財産に重大な影響を与えるおそれがあるとき」とする甲案の要件については、その判断主体や責任の所在を明確化する必要がある。 とりわけ、医師の判断能力は医学的評価に限られ、「重大な影響」の法的・社会的評価を伴う判断には限界があるとの指摘があり、家庭裁判所の調査官や書記官が面談等を通じて適切に判断できる体制整備と責任の明確化が求められる。 |
(3) 申立権者について
【意見】 申立権者の範囲については、現代社会における家族関係の希薄化や一人世帯の増加といった実情を踏まえ、乙案のように申立権者の範囲を拡大する方向で見直すことが適当である。 【理由】 後見開始の申立てに関して、現行法(甲案)では申立権者の範囲が限定的であるため、特に親族に頼れない者や家族関係が希薄な者に対して、法定後見制度を利用した支援が届きにくいという問題がある。 実際、自治体による首長申立てに期待せざるを得ない場面が多いものの、申立てが制限されたり、手続が遅々として進まない例も少なくない。 今後、少子高齢社会が進行し、家族形態が多様化する中で、一定の範囲の支援者や法律上の利害関係人等を申立権者として明示的に位置づけることは、法定後見制度の利用促進および本人の利益保護に資する。 これにより、法定後見制度を必要とする者が、制度の枠外に置かれてしまうリスクを減らすことが期待される。 一方で、申立権者の範囲を広げることにより、本人の意思に反して恣意的に法定後見制度が利用される懸念があるとする考えもありうる。 この考えは、法定後見制度の審判が不利益処分的性格を有することを前提に、申立権者を厳格に限定すべきだという立場に立つものである。 しかしながら、現実のニーズや制度利用上の障壁を踏まえれば、申立権者の適切な拡張と制度的な歯止めの両立によって、より本人本位の制度運用が可能になると評価されるものであるため、乙案を支持する。 |
第2 法定後見の終了
1 法定後見の開始の審判又は保護者に権限を付与する旨の(個別の)審判の取消しについて
【意見】 本人の事理弁識能力が回復しない場合であっても、法定後見の目的が達成されたときには、家庭裁判所が法定後見の開始の審判を取り消すことができる制度を、一定の条件のもとで設けるべきである。 【理由】 法定後見の開始の審判に至る事情やその目的はそれぞれ異なるが、特に親族や福祉関係者など、法定後見開始前からの支援者が法定後見開始の審判があった後も継続的に支援に携わっているようなケースは実務上多く見られる。 この場合、法定後見の目的がすべて達成されなくても、一部の目的が達成されることにより、法定後見を継続しなくとも支援者による支援によって本人が十分に自立した生活を送ることができるケースも少なくないと思われる。 例えば、すでに入所している施設費用の支払いのために定期預金を解約し、解約後は従前どおりの生活が維持されるケースなどが挙げられる。 このようなケースにまで引き続き法定後見を継続することは、本人の自己決定権の制限を過度に長引かせる結果となりかねず、また、法定後見制度の本来の趣旨である「本人の意思の尊重」や「可能な限りの自立支援」という観点からも適切とはいえない。 さらに、支援体制が十分に整っており、本人が日常生活において重大な不利益を被るおそれがない場合には、法定後見の必要性そのものが薄れているとも考えられる。 したがって、そのような状況においては、家庭裁判所による後見終了の審判も選択肢として検討されるべきであり、支援者との連携の下で、本人の生活の質の向上や意思の実現を最優先に考慮した柔軟な対応が求められる。 一方で、終了の際の「財産の引継ぎ先」が明確でない場合や、「地域や親族のサポート体制が整った」というような形式的な支援体制が構築された場合などに安易な終了が行われると、かえって本人の保護が不十分になるとの懸念がある。 特に、いわゆる「スポット後見」の需要があるとされる不動産売買や遺産分割のように、一時的に財産が大きく増加する場面では、たとえ本人が日常レベルの財産管理能力を有していたとしても、大きく増加した財産に対してまで同様の能力があるとしてよいか、増加した財産をねらって接近してくる者から本人の保護をはからなくてよいかという問題が残るため、極めて限定的に認めるべきとの意見もある。 |
2 法定後見に係る期間について
【意見】 基本的には現行法の規律を維持すべきであると考える。 【理由】 法定後見制度の利用に至った事情は、一時的な法律行為の支援から、長期にわたる生活支援まで個別性が高いが、現状においても、後見制度支援信託の設定のためだけに専門職後見人が就任する場合など、裁判官の指示による期間や目的を限定した運用はすでにされている。 そのため、裁判官から個別の事情が考慮されれば、特定の目的に限定された短期的利用については、現行の制度の範囲内で対応可能であって、一律に期間を定めるべきではない。 法定後見制度は利用開始後に、利用開始事由とは別の新たな課題が顕在化することもあるため、開始時点で合理的な終了時期や期間を見通すことが困難である場合も多い。 一律の期間限定の支援が、場合によっては、かえって本人の置かれる状況を不安定なものにする恐れもある。 継続的に支援を行うからこそ、支援する側は本人と接する中で本人の考え方の傾向や嗜好がわかるようになり、意思を尊重することができるようになるのであり、特に、身寄りのない本人にとっては、一生涯に亘り継続的な支援を受けられるという期待感が大きな安心に繋がっているように考えられる。 |
第3 保護者に関する検討事項
1 保護者の解任(交代)等について
【意見】 保護者の解任及び交代に関しては、原則として乙2案のように、柔軟で広い解釈が可能な制度設計としつつ、制度の濫用や不当な交代により本人の利益が損なわれることのないよう、一定の歯止めを設けた上で運用すべきである。 【理由】 保護者の解任及び交代に関する制度設計においては、法定後見制度の受益者があくまで本人であることを踏まえ、本人の状況や意向を最大限に考慮しつつ、柔軟な対応が可能となるような仕組みとすることが望ましい。 なお、保護者と本人の相性が悪く、その関係性が原因で交代に至るケースもありうるが、そのような交代が直ちに保護者の「欠格事由」に該当するとは限らず、再任の可否については個別の事情に応じた判断が必要である。 また、保護者の交代によって、かえって以前の保護者との信頼関係が深かった別の本人の利益が損なわれることも想定されるため、過度な形式主義を避けるべきである。 一方で、現行法が定める「不正な行為」や「著しい不行跡」による解任を欠格事由とする規律は、保護者の適格性を制度的に担保する上で引き続き必要であり、これは維持されるべきである。 また、保護者の解任に本人や親族の意向が強く反映されることについては、本人保護の実現を妨げたり、保護者の萎縮や制度の濫用につながる懸念もあるため、本人や家族の意向だけで安易に解任・交代が可能となる制度設計には慎重な検討が必要である。 そのため、乙2案のように一定の柔軟性と再任の可能性を認めつつも、制度の濫用を防止する観点から、判断の基準や運用の指針を明確に示し、家庭裁判所の慎重な判断の下で適切な選任・交代が行われるよう制度を設計すべきである。 |
2 保護者の報酬について
【意見】 法定後見制度における保護者の報酬に関しては、本人の資力に応じた適正な報酬が確保されるよう制度整備を行うべきであり、報酬額に消費税課税事業者か否かで差異を設ける現在の運用は見直されるべきである。 また、自治体による報酬助成制度についても地域間格差が生じないよう全国的な基準整備が望まれる。 【理由】 法定後見制度において保護者の報酬は、適任者の確保と事務処理の実効性を担保するための重要な要素であり、制度の根幹に関わる問題である。 しかし、現実には本人の資力が乏しい場合に報酬申立てが行われず、保護者が無償で業務を担うケースも多く見られる。 このように善意に依存した制度運用では、支援を必要とする資力の乏しい本人に適切な保護者がつかず、制度利用の格差が生じるおそれがある。 また、自治体によって報酬助成制度の有無や内容に差があることも、保護の地域格差を生む一因である。 法定後見制度が全国共通の公的制度である以上、報酬助成の仕組みも一定の基準のもとで整備されるべきであり、地域によって支援の質に差が出る現状は是正される必要がある。 さらに、令和7年4月から導入された報酬付与申立時の「消費税課税事業者か否か」による報酬差の運用については、消費税の納税義務者ではない本人に実質的な税負担をさせる制度的構造となっており、不合理であるとの批判がある。 これは他の裁判所関与業務(相続財産清算人、破産管財人など)との整合性にも欠けており、法定後見制度においてのみこのような差異を設けることは、本人に対して過度な不利益を与えるものであり、早急に見直されるべきである。 一方で、少数意見として、「報酬が得られなくても、社会貢献の意識がある者のみが後見人を担うべき」との厳格な倫理観を求める立場もある。 しかしながら、多数意見としては、専門性と責任の重い業務に適切な対価が支払われないことは制度の持続可能性を損ない、結果として最も支援を必要とする本人の不利益となるという認識が優越している。 |